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福岡地方裁判所 昭和42年(ワ)730号 判決 1969年8月06日

原告

小林進

ほか一名

被告

菖蒲喜代子

ほか一名

主文

一、被告菖蒲喜代子は原告小林進に対し金四、四六一、三四八円、原告小林ミチ子に対し金一一四、三二六円および右各金員に対する昭和四二年一〇月五日以降各完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二、被告菖蒲喜代子に対する原告らその余の請求および被告菖蒲淳に対する原告らの請求を棄却する。

三、訴訟費用は、原告らと被告菖蒲淳との間においては、全部原告らの負担とし、原告小林進と被告菖蒲喜代子との間においては、同原告に生じた費用を三分し、その二を同被告の負担とし、その余の費用は各自の負担とし、原告小林ミチ子と被告菖蒲喜代子との間においては、同原告に生じた費用を一〇分し、その一を同被告の負担とし、その余の費用は各自の負担とする。

四、この判決の第一項は、仮りに執行することができる。

事実

(申立)

一、原告ら「被告らは各自原告進に対し金六、七四五、九六六円原告ミチ子に対し金一、三三一、八二六円および右各金員に対する昭和四二年一〇月五日以降各完済に至るまでいずれも年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言。

二、被告ら「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決。

(主張)

第一請求の原因(原告ら)

一、事故の発生

原告両名は昭和四一年七月二八日午前一一時三〇分ごろ福岡市大字屋形原五四六番地の一蓑田荘吉方前庭において外側からブロック積上作業をしていたところ、被告喜代子運転の小型乗用自動車(ダットサンP三一一型一五七八二)が突然原告らの背後から衝突してきた。そのため、原告進は左下腿部挫滅創および開放性複雑骨折等の、原告ミチ子は左側頭部挫創、右胸部右側頭部背挫傷、頭蓋内出血等の傷害を負つた。

二、被告らの責任

1、被告喜代子の責任

(イ) 被告両名は夫婦であり、いずれも宅地建物取引業の免許を有し、日昇不動産なる名称のもとに、宅地建物取引業を営んでいる。そして、形式上は被告淳を代表者とし被告喜代子を補助者としているが、実質上は両被告の共同経営に属する。本件自動車は日昇不動産が経営する事業に供する目的で購入され、その事業に供されていたものであるから、これは両被告の共同所有に属する。従つて、被告喜代子は被告淳とともに自動車損害賠償保障法第三条による賠償責任がある。

(ロ) 仮りに、右自動車が被告喜代子の単独所有であるとすれば、同被告は同条による賠償責任がある。

(ハ) 仮に、そうでないとしても、被告喜代子は不法行為者として民法第七〇九条による賠償責任がある。

2、被告淳の責任

(イ) 前記1の(イ)のとおり、本件自動車が被告両名の共同所有に属するので、被告淳は被告喜代子とともに自動車損害賠償保障法第三条による賠償責任がある。

(ロ) 仮りに、本件自動車が被告喜代子の単独所有に属するとしても、日昇不動産が被告両名の共同経営であり、右自動車が右不動産業の用に供する目的で購入され、その事業に供されていたのであるから、被告淳は被告喜代子とともに同条による賠償責任がある。

(ハ) 仮りに、本件自動車が被告喜代子の単独所有であつて日昇不動産が被告淳の単独経営であるとしても、被告喜代子は右事業に補助者として関与しており、少くとも被告淳とは使用者被使用者の関係にあると考えられる。しかも、被告喜代子は使用者のために自分の自動車を運転する目的で購入し、かつ運転していたのであるから、被告淳は被用者の不法行為について自動車損害賠償保障法第三条または民法第七一五条による賠償責任がある。

三、損害

(一) 原告進の損害

1、加療等に要した費用金五〇六、五八八円

(イ) 昭和四一年七月二八日から同年一二月二九日まで古賀外科病院における治療代金五〇〇、三六〇円

(ロ) 西新病院における左下腿切断についての診断料金五七〇円。

(ハ) 青山外科病院における左下腿切断についての診断料金三、八〇〇円。

(ニ) 国立福岡中央病院におけるレントゲン代金一、八五八円。

2、看護等に要した経費、雑費金四一、八五五円

(イ) ゆかた、肌着、敷布 金四、二〇〇円

(ロ) ラクノミ、氷嚢、やかん、ちり紙、蚊取線香 金二、〇四五円

(ハ) マット枕、さらし、スリッパ、貸テレビ 金八、五五〇円

(ニ) 松葉杖 金二、四〇〇円

(ホ) 看護人倉光ミツエに対する休業補償代 金一六、〇〇〇円

(ヘ) ハイヤー代 合計金八、六六〇円

(Ⅰ) 入院蒲団運搬 金五四〇円

(Ⅱ) 事故を子供に通知 金五四〇円

(Ⅲ) 原告ミチ子の退院 金五四〇円

(Ⅳ) 原告進の退院 金五四〇円

(Ⅴ) 被告らとの打合せ 金一、二〇〇円

(Ⅵ) 西新病院での診断 金八〇〇円

(Ⅶ) 青山外科での診断 金四、五〇〇円

3、義足代 金一五二、七七〇円

原告進は本件事故により左下腿部切断の重傷をうけたため、義足を着用する必要を生じ、昭和四一年一二月二九日これを金二三、八〇〇円で購入した。しかし、義足は今後三年に一回宛新調し直さなければならないため、原告進の平均余命を二九年(第一〇回生命表による。)として、さらに九回の新調を要することとなり、その費用を複式ホフマン式計算法により算定すると、

第一回一九六八年一二月 <省略>

第二回一九七一年 <省略>

第三回一九七四年 <省略>

第四回一九七七年 <省略>

第五回一九八〇年 <省略>

第六回一九八三年 <省略>

第七回一九八六年 <省略>

第八回一九八九年 <省略>

第九回一九九二年 <省略>

合計金一二八、九七〇円となり、すでに購入した義足代を加えると、金一五二、七七〇円となる。

4、得べかりし利益 金三、七六三、五五三円

原告進は本件事故当時田中強志の清和工務店に左官とてし常傭され、月額約五〇、〇〇〇円の給与を受けていたが、本件事故により休業のやむなきに至り、昭和四一年一二月九日負傷の治癒に至るまで五ケ月間合計金二五〇、〇〇〇円の給与を失い、さらに本件事故によつて左下腿切断の重傷を受けたため、もはや左官の仕事を継続して行けず、廃業のやむなきに至つた。今後さらに転職するとしても、もはや従前の労働能力を発揮することはできず、その喪失度合は五〇パーセントを相当と考えるので、六五歳迄を就労可能として、就労年数は二三年間となる。その間失う年間給与を金三〇〇、〇〇〇円として、その得べかりし利益を複式ホフマン式計算法によつて算定すると、金三、五一三、五五三円となる。同原告は同額の得べかりし利益を喪失した。

5、慰藉料 金三、〇〇〇、〇〇〇円

原告進は本件事故で前記のような重傷を受けたうえ、下腿部を切断することとなり、高等小学校卒業後直ちに弟子入りして爾来今日まで唯一途に精進してきた左官業も遂に廃業せざるを得なくなつた。しかも、年令四〇歳を越えて、いわゆる中高年層に属し、他に技術等もないため、その転職は困難を極めており、家庭には妻のほか一〇歳と八歳の二児を抱え、今後の家庭生活、子供の教育等を考えると、全く暗澹たる状態である。

以上のごとく、同原告が受けた多大の精神的肉体的苦痛に対する慰藉料として金三、〇〇〇、〇〇〇円を請求する。

(二) 原告ミチ子の損害

1、加療等に要した費用 金一八八、三六六円

原告ミチ子が加療等に要した医療費、入院費、通院費

2、雑費 金五、四六〇円

昭和四一年九月五日から同年一一月二八日まで四二日間古賀外科への通院のためのバス、タクシー代。

3、得べかりし利益 金一三八、〇〇〇円

原告ミチ子は本件事故当時前記清和工務店に左官手伝人として常傭され、月額約金三〇、〇〇〇円の給与を受けていたが、本件事故により休業のやむなきに至り、昭和四一年七月二八日から同年一二月一四日まで四ケ月一八日間の合計金一三八、〇〇〇円の給与を失つた。

4、慰藉料 金一、〇〇〇、〇〇〇円

原告ミチ子は本件事故によつて前記のような重傷を受け、ほぼ治癒したとの診断があつたものの、頭蓋内出血のため後遺症が発生しないとも限らず、さらに夫とともに入院加療をなしたため、子供の養育に支障をきたし、そのうえ夫の失業等将来の生活にも多大の困難が生じたこれらにより同原告の受けた精神的肉体的苦痛は計りしれないものがある。従つて、慰藉料として金一、〇〇〇、〇〇〇円を請求する。

四、以上のとおり、原告進は金七、四四〇、九六六円のうち強制保険から金五五〇、〇〇〇円、被告らから金一四五、〇〇〇円を受領したので、これを控除した残金六、七四五、九六六円、被告ミチ子は金一、三三一、八二六円および右各金員に対する訴状送達の翌日たる昭和四二年一〇月五日以降完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を被告らが各自支払うよう求める。

第二答弁(被告ら)

一、請求原因一の事実は認める。

二、1、同二の1の事実中本件自動車が原告喜代子の所有であること、被告喜代子と被告淳が夫婦であること、被告淳が日昇不動産の名称で宅地建物取引業を営んでいることは認めるが、その余の事実は争う。

2、同2の事実は否認する。

3、被告淳は本件事故による損害を賠償する責任がない。

それは次のような事情である。

(イ) 同被告は自己のために自動車を運行の用に供するものではない。

先ず、本件自動車は同被告の所有ではなく、被告喜代子が自ら昭和四一年六月一〇日藤中芙瑳子から代金一三〇、〇〇〇円で買い受け所有するものである。

被告喜代子は鮮魚商、ポーラ化粧品の販売等をなし、昭和四〇年一〇月不動産取引業をしていた被告淳と結婚したのであるが、結婚後日も浅く、しかも双方自活できる年令での結婚であり、その財産関係は全く別個独立のものであつた。偶々被告喜代子は自らの趣味として自動車の運転を受けることを思いたち、昭和四一年四月ごろ自動車学校に入校し、同年六月仮免許となり、合格が予想されたので、北島自動車整備販売の代表者北島巌や綾部守邦らの仲介によつて前記のとおり本件自動車を購入することになつたのである。その売買交渉一切は被告喜代子があたり、代金の工面も自らなし、またその自動車は車体の色も同被告の好む緑色で、女性用フアンシーデラックスであつた。

かくて、被告淳は本件自動車の購入について全く関与しておらない。もともと被告淳は未だ自動車の運転免許も取得しておらず、むしろ危険だとして妻の自動車運転、購入には反対であり、被告淳の営む不動産取引業のため本件自動車を使用する考えなど毛頭なかつたのである。ただ、結婚そのものが互いに独立自活できるものの間柄で、しかも日浅いことではあり、強いて妻の自動車運転、購入に反対することができなかつた事情にある。

(ロ) 被告淳は不動産取引業を営むが、被告喜代子は家事を専らとし、その合い間ときたま夫たる被告淳の留守番、使い走り等を手伝つたに過ぎず、もとより不動産取引業の補助者の名に値する程のことはしていない。

被告両名の間に使用者被使用者というような使用関係は全くなく、被告喜代子は家事の合い間夫婦の情宜上被告淳の仕事を手伝つたに過ぎない。被告淳が被告喜代子の使用者と考える余地は本件の場合全然存しない。

しかも、被告喜代子が運転免許証の交付を受けたのは昭和四一年七月二〇日であつて本件事故の一週間前であり、かつ当初から被告淳としては妻喜代子に運転させることは危険極まりないものと考えていたので、本件自動車を同被告の不動産取引業に使用した事跡も、またその意図もなかつたことはいうまでもない。

本件事故の際も、被告喜代子は自らの私有のため本件自動車を運転していたのである。すなわち、同被告の妹の家の建築の手伝に行く途中であつた。

かくて、被告淳は本件自動車の運行によつて何らの利益をも受けず、ましてやその運行を支配する立場にもなかつたこと明らかである。勿論、一、二回同乗したことがあるとしても、それは夫婦の間柄からの好意によるもので、夫婦親子の情宜上同乗する場合、運行の支配、利益といつたものは自動車損害賠償保障法上のそれとその性質が異るものである。

(ハ) 被告淳が被告喜代子の使用者といえないこと、本件事故が被告淳の業務の執行について発生したものでないことはさきに述べたとおりである

三、同三の各事実はいずれも不知。

原告らの慰藉料請求は過大に失する。原告進の入院期間は五ケ月で、その後遺症は労災八級と推定される。原告ミチ子の入院期間は約四〇日、その後通院約三ケ月余である。これからすると、高額に過ぎる。

第三抗弁(被告ら)

一、過失相殺

仮りに、被告らに損害賠償の義務があるとしても、原告らには次のような過失が存するので、損害賠償の額を定めるにつき斟酌すべきである。

すなわち、現場は地形上は勿論、従来から事故多発地点で、自動車の往来の激しい道路傍であるから、このような場所で左官仕事をするとすれば、事故防止のためその存在を知らしめる等適宜の方法がとられてしかるべきであるが、原告らは何らその措置を講じていなかつた。

二、弁済

(一) 原告進は金一、六三〇、〇〇〇円、原告ミチ子は金五〇〇、〇〇〇円を自動車損害賠償保障法に基き保険金給付を受けている。

(二) 被告喜代子は原告らに次のとおり支払つた。

1、原告進に対する分 合計金三八三、五〇五円

(イ) 昭和四一年九月一七日から昭和四四年六月二六日までの間三六回にわたり金二四七、〇〇〇円。

(ロ) 義足代として昭和四二年七月一一日金二三、八〇〇円、日時不詳金二三、八〇〇円。

(ハ) 看護料として金八八、九〇五円。

2、原告ミチ子に対し昭和四一年一一月二七日から同年一二月二〇日までの間五回にかたり看護料名義で合計金一七、五〇〇円。

第四、抗弁に対する答弁(原告ら)

一、抗弁一の事実は争う。

二、(一) 同二の(一)の事実は認める。

(二) 同二の(二)の事実中原告進が義足代として日時不詳金二三、八〇〇円を受領したことは否認するが、その余の事実は認める。

(証拠)〔略〕

理由

一、事故の発生

原告両名がその主張の日時場所において被告喜代子運転の自動車に衝突されてそれぞれ受傷したことは当事者間に争いがない。

二、被告らの責任の有無

原告らは、第一に被告両名が本件自動車を共有すること、第二に被告喜代子が右自動車を所有するとしても、被告淳がこれを使用することのできることを理由に運行供用者として、また第三に被告淳が被用者たる被告喜代子の不法行為について使用者として損害賠償責任がある旨主張する。

そこで、先ず本件自動車の所有関係から検討すると、被告喜代子が本件自動車の所有者であることは当事者間に争いがない。そして、〔証拠略〕を綜合すると、被告喜代子は自動車学校に通いながら知合いの綾部守邦に手頃な自動車の購入斡旋を依頼していたところに、たまたま北島自動車整備販売が藤中和男から頼まれて本件自動車を売りに出していることを知り、これが手直しをしたうえ手続費用を含めて代金が金一三〇、〇〇〇円であることや色や型が女性向きのフアンシーデラックスというものであることから、昭和四一年六月一〇日早速藤中和男からこれを買い受けたこと、そして同被告が同年七月二〇日自動車運転免許証の交付を受けるとともに右北島から本件自動車を受け取つて使用し始めたこと、この購入資金は同被告が結婚前に保険外交や化粧品の販売等で蓄えていた自己の貯金から捻出したものであること、被告淳は自動車の運転免許を受けていないことを認めることができる。この事実から考えると、本件自動車は被告喜代子ひとりの所有というべきであつて、それ以上に被告両名の共有とまで肯認するには未だ十分でない。このことは前顕各書証が本件自動車に関していずれも同被告名義になつていることからも裏付けられるところである。また、被告両名が夫婦であることは当事者間に争いないが、だからといつてそれだけの事実から直ちに被告両名の共有と推認するわけにはいかない。他に被告淳が本件自動車の所有権取得に関して被告喜代子と協同したとかして被告両名の共有を認めるに足る資料は見出せない。

次に、被告淳の本件自動車の使用関係について検討する。同被告が日昇不動産の名称で宅地建物取引業を営んでいることは当事者間に争いがなく、自家営業の中でも宅地建物取引業なるものが自動車の利用を必要とする度合とか利益が相当大きいと一般に言えるのであるが、前記認定のように被告喜代子が自動車運転免許証の交付を受けて本件自動車の運転を始めたのが昭和四一年七月二〇日であり、本件事故が同月二八日であつてその間僅かに旬日を出ないので、その短期間に本件自動車を被告淳の営業のため現実に使用した跡を窺うことができない。結局本件自動車の購入について、被告両名において右のような意図があつたかどうかということになる。そして、この点について〔証拠略〕中被告らからの伝聞としてこれを肯定するかの如き部分がないわけではない。しかし、被告両名の各本人尋問の結果によれば、被告淳の事務所は自宅から約一〇〇メートル位離れたところにあつて通勤等のために使用する必要もないし、また被告喜代子も本件事故前に不動産取引業の資格試験に合格したけれども、同被告が独立して、あるいは被告淳と共同して開業したわけでもなく、ただ被告淳の事務所の電話番を手伝つた程度に過ぎないことが認められる。この事実に照すと、〔証拠略〕中右の部分をそのまま採ることはできないので、被告淳が本件自動車を自己の営業のために使用しようとしたとまで言い切ることはできず、同被告が本件自動車を使用する立場にあつたとは言えない。県庁に対する調査嘱託の結果によれば、被告喜代子が被告淳の「案内」業務の使用人として届けたことが認められるけれども、同時にまたその届出が昭和四一年九月一日付であつて、本件事故後のことであることも明らかであるから、これも右認定を動かすに足りない。

さらに、被告淳が被告喜代子の使用者かどうかについても、右認定の事実からこれを肯定するには未だ十分でない。

以上のとおりであるから、結局被告喜代子は本件自動車を所有し、自己が運行中に前記事故を惹起したのであるから、運行供用者として自動車損害賠償保障法第三条によつて賠償責任があるというべきであるが、被告淳についてはこれを否定するほかない。

三、過失相殺の成否

原告らの損害の判断をする前に、過失相殺の点について検討しておく。〔証拠略〕を綜合すると、本件現場は蓑田荘吉方庭の前にある空地で、道路とは下水溝で仕切られて一段高くなつたところであつて、原告両名が井戸のホームポンプを設置するためブロックを積み上げていたところへ、背後から本件自動車が入りこんできて衝突されたことを認めることができる。従つて、事故現場が道路傍ではあつても、その外であるから、仮りに付近道路が狭隘で見通し悪く交通頻繁な場所であつたとしても、被害者側に事故を誘発するような作為の認められない以上、相手方に過失があるとは到底言えない。勿論、工事中の標識を設けたか否かも右判断の妨げにならない。

従つて、以下原告の損害を算定するにあたつて考慮すべき被害者側の過失はないといわなければならない。

四、原告進の損害

1、治療費

〔証拠略〕を綜合すると、原告は事故直後から古賀外科に入院し、同医院の医師から昭和四一年一一月ごろ右下腿を切断せねばならない病状を聞き、切断せずに治療の方法がないかと西新病院や人から伝え聞いた飯塚の青山外科を訪れて診察を受けたりした挙句、遂に同月二五日古賀外科において右下腿のうち膝下一四、五センチメートルのところから切断するに至り、同年一二月二〇日漸く退院したのであるが、このために、古賀外科の治療費金五〇〇、三六〇円、西新病院の診察費金五七〇円、青山外科の診察費金三、八〇〇円を支出したことが認められる。

2、雑費

同原告は雑費の支出として入院中の雑費と松葉杖代、交通費、看護費用を主張する。そして、〔証拠略〕を綜合すると、同原告が主張のとおり金四一、八一九円を支出したことを認めることができるのであるが、原告が本件受傷に関連したすべての支出が損害と評価されるものでなく、貸テレビのごとく相当因果関係の認めがたいものもある反面、後に至つて確実な立証のできがたい雑費支出のあることも当然考えられるところであるから、五ケ月に近い入院期間をも併せ考慮したうえ、右のうち金三〇、〇〇〇円が本件受傷に伴う雑費支出として是認するのが相当であると考える。

3、義足代

原告進が右下腿を切断してその部分が欠損の状態であることは前認定のとおりであるから、原告が日常の立居振舞のためにも義足を要することは敢えて論ずるまでもない。そして〔証拠略〕を綜合すると、同原告は切断後の昭和四一年一二月二九日に始めて義足を着用し、その費用として金二三、八〇〇円を支出したが、義足は定期的に取り代えなければならず、最初の取代えは切断後腫れたまま着用していたので、昭和四二年八月ごろに同額の費用でそれを行つたが、以後は大体三年に一度の割合で取り代えることになつていることを認めることができる。ところで、同原告(大正一三年九月三〇日生)が平均余命二六・六一年(第一一回生命表)程度生存するものと考えて、右のほかさらに八回の新調を要することとなり、その費用をホフマン式計算によつて計算すると、

第一回一九七〇年八月 <省略>

第二回一九七三年 <省略>

第三回一九七六年 <省略>

第四回一九七九年 <省略>

第五回一九八二年 <省略>

第六回一九八五年 <省略>

第七回一九八八年 <省略>

第八回一九九一年 <省略>

この合計が金一〇九、五四九円となり、すでに支出した二回分の義足代金四七、六〇〇円を加えて、同原告主張の限度内で金一五二、七七〇円となる。

4、得べかりし利益の喪失

〔証拠略〕を綜合すると、原告進は小学校卒業以来二五年間唯一筋に左官の業に勤め今日に至つたのであるが、本件事故当時は田中強志の主宰する清和工務店の常傭左官として同店の工事であるブロック積上に従事中であつたこと、事故前の昭和四一年一月以降七月までの一ケ月の平均給与額が金五一、四二九円であることを認めることができるので、本件事故による受傷時から治癒した同年一二月二〇日までの約五ケ月間休業したこと前認定のとおりで、その期間右の割合の収入が得られなかつたことも明らかであるから、休業による損害が金二五〇、〇〇〇円を下ることはないといわなければならない。

さらに、原告進が右下腿欠損の後遺症障害を受けたこと前認定のとおりであり、これから考えてももはや同原告が左官の仕事を継続することは不可能と考えられる。このような同原告の経歴、後遺障害の部位程度を綜合すると、同原告の労働能力の喪失割合を五〇パーセントと見るのが相当である。(因みに労働基準法施行規則別表第八級に該当するとしても労働能力喪失率表によれば四五パーセントである。)そして、今後六〇歳まで就労可能と考えられるので、前記平均給与による喪失給与額一年につき金三〇〇、〇〇〇円と就労可能年数とでホフマン式計算によつて算定すれば、金三、七八〇、九六〇円となる。

300,000×12,6032(18年のホフマン係数)=3,780,960

従つて、同原告の主張する金三、五一三、五五三円の限度で、同原告の損害として是認すべきこととなる。

5、慰藉料

原告進が本件受傷によつて精神的苦痛を受けたことは明らかである。そして、これまで認定してきたような本件受傷の部位程度、治療期間、後遺障害の部位程度、本件事故が被告喜代子の一方的過失によること、後記のように同被告においても入院中できる限りの誠意を示して弁済に努めたこと、その他本件に現れた諸般の事情を斟酌して、同原告の慰藉料は金二、〇〇〇、〇〇〇円が相当である。

6、同原告の損害は合計金六、四五一、〇五三円となる。

五、原告ミチ子の損害

1、治療費

〔証拠略〕を綜合すると、同原告は事故直後原告進とともに古賀外科に入院し、昭和四一年九月四日退院したが、翌五日から同年一二月一四日までの間通院して治療を受けたこと、そして、古賀外科に治療費として金一八八、三六六円を支払つたことを認めることができる。

2、交通費

右通院のために交通費を要したこと明らかであり、その期間から考えても、〔証拠略〕によつて認められる金五、四六〇円の支出を損害として是認できる。

3、得べかりし利益の喪失

〔証拠略〕を綜合すると、原告ミチ子は夫たる原告進とともに清和工務店の左官手伝として勤め、夫の左官仕事の手伝いをして、事故前の昭和四一年二月から同年七月まで一ケ月平均金三一、〇〇〇円の給与を得ていたことが認められるので、前記入院ならびに通院期間中休業せざるを得なかつたと考えられるから、その間少くとも金一三八、〇〇〇円の給与を失つたといわなければならない。

4、慰藉料

原告ミチ子が本件受傷によつて精神的苦痛を受けたことは明らかであるから、その慰藉料額について検討するに、前認定のとおり本件受傷の部位程度、治療期間、本件事故の態様原告ミチ子の本人尋問の結果によつて認められるように、すでに左官手伝もできず近くの病院の炊事婦として稼働していること、後記のように被告喜代子において弁済に努めたことその他本件に現れた諸般の事情を斟酌して、同原告の慰藉料は金三〇〇、〇〇〇円が相当である。

5、同原告の損害は合計六三一、八二六円となる。

六、弁済

1、原告進に対する分

原告進が自動車損害賠償保障法に基く保険金として金一、六三〇、〇〇〇円の給付を受け、被告喜代子から合計金三五九、七〇五円の弁済を受けたことはいずれも当事者間に争いがない。そして、同被告が日時不詳金二三、八〇〇円を義足代として同原告に弁済した点については〔証拠略〕中被告淳が田中強志に対して債権を有していたので、それをもつて支払おうとし、田中が原告ミチ子に支払つたところ、同原告において一応受け取つておこうということであつたという部分があるけれども、結局本件の原被告を措いてその余の者らの操作であつて、必ずしも明確とは言いがたく、これだけで弁済とまで断ずるにはいささか躊躇せざるを得ず、他にこれを認むるに足る証拠はない。

従つて、右の合計金一、九八九、七〇五円を前記損害から控除することとなる。

2、原告ミチ子に対する分

原告ミチ子が前記保険金として金五〇〇、〇〇〇円の給付を受け、被告喜代子から合計金一七、五〇〇円の弁済を受けたことは当事者間に争いがない。従つて、右の合計金五一七、五〇〇円を前記損害から控除することとなる。

七、結論

以上の次第であるから、被告喜代子は原告進に対し金四、四六一、三四八円、原告ミチ子に対し金一一四、三二六円および右各金員に対する訴状送達の翌日たること記録上明らかな昭和四二年一〇月五日以降各完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があるというべく、原告らの本訴請求は右の限度で理由があるから正当としてこれを認容することとするが、その余の請求は失当として棄却すべきである。

よつて、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 富田郁郎)

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